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アフリカ日記 ザンジバル編4

(3からつづく)

そこでもう少し詳しくとらえてみました。

僕が嫌っていた人たちとは、誰なのか。
僕が嫌っていたことの本体は何なのか。

誰かが暗い出来事に目を背ける時、
あるいは誰かが、自身の繊細な感性ゆえに一緒にいられないという時、
僕は自動的に、目を背けられる側に同一化していたようです。



そこにある構造はこんな感じ

A. 目を背ける人  v.s.  B. 目を背けられる人

僕の中のAの立場の人は僕にとってはうまく捕まえられていない部分。
なじみのあるBの側からは、Aによって存在価値を否定されている感じがしている。

僕の中ではBの声が大きい故に、Bを見捨てずにしがみつこうとしていた。
それは内なるAの声を軽んじることでもあったのでした。




でもAは本当にそう思っているのか。
存在自体の絶対的な価値がないとは思っていないけれど、あまり好きじゃないとは感じているし、自分にとっては今、関わらなくてもいいとは思っているみたい。

僕はそのAの声、「こういう場所は好きじゃない」「今の僕には、もうここは充分」という声を無視して、無理やりその場にいるということや、それにまつわる出来事を消化しようとしていた。そして文字通りお腹を壊した。

そして無視していたAの声は、ほとんどそのまま、島の店主の口を通して「二度とくるな!」と僕に投げつけられることになった。
僕自身の内側にはっきりとある声だったので、はねのけることも叶わず、もろに喰らってしまった。



そんなわけで僕は、もっとAの声を大切にすることを決めました。
Bの立場に無自覚にはまることのないように気をつけていく。

Aの声を大切にすることは、また、僕自身の、以前よりも繊細に鋭敏になった感性を大切に尊重することでもあるのでした。
それは例えば、このワークを行っていた高級ホテルのラウンジのすばらしさを以前よりも深く体験できるということでもある。

こうしたことが明らかになり、自分のとるべき態度を選択し直した結果、おなかの不調尾は休息に回復しました。




僕に何かが起こった時に、どんな風に取り組んでいるか、
いささか簡単ではありますが紹介してみました。

皆さんのお役に立てれば幸いです。
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この記事のコメント

おひさしぶりです。
僕も途上国に行った時には何度も似たような経験を
しているので、自分自身の経験も重ね合わせて
興味深く読ませていただきました。
旅先では僕もいろいろ嫌な思いをしましたし、
なぜ自分はこんなところに来るのかと自問したことも
数えきれません。

読んで思ったのは、このようにしてAとBのうちで
Aを大切にするという方向に進むのは
外部/他者の声に耳を傾けない方向であるわけで、
それが悪いとは全然思わないけれども、
せっかくの異なるリアリティとの遭遇を回避して
世界を分断していってしまう寂しい方向ではあるかもなあ
ということです。僕自身も、年を重ねるにつれて
Aに向かう傾向が強まっていると思ってます。
Bは、「こんな場所も楽しめる自分」という自己満足の
部分もあるかもしれないけれど、それをつきつめて
ナルシシズム的な部分に自分で辟易して、それでも
懲りずにいろいろな出会いを繰り返すことで、
たんに人間同士の出会いができるようになり、
その上でたとえば店主と観光客という、社会構造に
よって作られた「役割」をクールに見られるように
なったりもする可能性もあります。
それと、「二度と来るな!」と言った店主の側に立って
みると、彼は日々、どんな喜怒哀楽を生きていて、
その上でふたこさんを最初に見てどういう思いが湧き、
さらに「買う買わない」のやりとりをするうちに
どういう感情がほとばしってそのような言葉に至ったのか。それを自分のこととして想像してみることで
その経験の消化のしかたも全く変わってくる。
そんな可能性=ギフトも旅の醍醐味かなと思います。

2009-02-14 Sat 15:39 | URL | ココペリ #mQQEfdr.[ 内容変更] | top↑
なんか、いつものふたこさんのことを
知ってるから。すっごく、なるほどー
って、思いました。

わたしとふたこさんって
そういう意味ではちがうほうに
同化しやすいんですね。

ふたこさんが
(ファリシテータ)ヒーロー像
から、離れたように。
(↑ちがってたら、ごめんなさいね)

わたしも
(悲劇の)ヒロイン
になりやすいので。
気をつけなくっちゃと、思いました。

わたしにとっても
いい学びだったので
シェアどうもありがとうございます。
2009-02-15 Sun 10:36 | URL | よっし~ #HuBhO90w[ 内容変更] | top↑
こんにちは。
ご無沙汰しています。

そうですね。おっしゃること、ごもっともと思います。

僕にとって、この一連の流れは「寂しい」ものとして感じられているんですよ。涙が出てしまうほどに。
僕のもともとの性格として、店主側の気持ちを想像するのは、その逆に比べてはるかに簡単なんです。
で、その腹立ちとか、寂しさの方がもとは支配的だった。

でもそのサイドに居続けるかぎり、僕自身は偏ったままになってしまうようで、今ではそれが体をこわすほどになってしまった。

返す返すも寂しいですね・・・。(←まだ変化に抵抗している)
2009-02-15 Sun 11:54 | URL | 風使い #-[ 内容変更] | top↑
こんにちは。ご無沙汰しています。
こちらこそ長文を読んで感想を頂いてありがとうございます。

いや、僕もよっし~と似ているんじゃないかなぁ。
Bの側って、見捨てられる悲劇の主人公だと僕は思う。(ってゆ~か、よっし~、ヒロインなの?)

で、悲劇の主人公として悲しんでいるか、その人を守ろうとするかの違いはあるかもしれないけれど、
それはセットでかつての僕の1次プロセス側。

見捨てる側、おいていく側、というのが2次プロセスでね、これは大きな課題です。

でもそう考えるときっと、僕は過剰にひどい見捨て方とかしている可能性はあるんだよな。恐ろしい(汗)。
2009-02-15 Sun 11:59 | URL | 風使い #-[ 内容変更] | top↑
ふたこさん

ステキなシェアをありがとう。
我が身を振り返って私も大きく心を揺さぶられました。

仕事の範囲を超えても、児童虐待だの犯罪被害者だの
そんな話にのめりこんでしまう私。
それがふたこさんの言うBのように感じました。

私もBである自分が好き。
でも、他人の傷を理解しよう共感しようとしている中で
きっと、自分も間接的に傷を受けているはず。

Bであり続けるためにも
自分の傷をケアしてあげることは大切なわけで
無視されてしまいがちな自らのニーズや内なる声(これがふたこさんのいうAでしょうか?)にも耳を澄ませてあげなくてはならないのかも。

たとえそれがBである自分と矛盾しているように見えても。

2009-02-16 Mon 13:33 | URL | Suomi #-[ 内容変更] | top↑
ふたこさん

>でもそのサイドに居続けるかぎり、僕自身は偏ったままになってしまうようで、今ではそれが体をこわすほどになってしまった。

うーん、 この理解は僕は違うような気がします。「偏ったまま」というのもよくわかりません。むしろ、きつくてもその矛盾にあえて身を置き続けることが、僕がミンデルから学んだ「sitting in the fire」ということなのではないかと。
2009-02-17 Tue 01:53 | URL | ココペリ #mQQEfdr.[ 内容変更] | top↑
わ~、こんにちは!
ご無沙汰しています。

そうなのですよね。
なるほど「自分の傷のケア」という観点で語ってみるのも面白いです。

今回の「自分の傷のケア」、というときのニュアンスがなかなか難しくて、自分の中のB側の傷を、B側の立場・見方からケアするのではないというか、B側の自我を満足させてあげるのではないケアの仕方をやろうとしたのだなあと、改めて整理できました。

ありがとうございました。
2009-02-17 Tue 09:25 | URL | 風使い #-[ 内容変更] | top↑
ありがとうございます。

もしかしたらココペリさんのおっしゃっていることが正しいのかもしれません。僕も、つい最近までそう考えていましたし、今でも100%の自身があるわけでもありません。

そしてきっと、もうちょっと時間がたたないとわからないことなのでしょう。そこにとどまることが僕にとって必要ならば、そのように世界は僕に働きかけるだろうと。

今回僕が、自分は誤解していた、と思ったポイントは、「そこにとどまることが普遍的に正しいと思っていた」というような思いこみです。

でも今回のことで、ある種の紛争・葛藤状態にとどまることがその人にとって必要な場面と、その状態から立ち去るのが必要な場面とがある、ということを僕は学んだ気がするのです。

そして、そのことで初めて、僕はその「立ち去った後に出会う世界」を切り捨ててきたということにハッキリと思い至ったわけなのです。

今後の展開がどうなることやらですね。
また報告させてください。
2009-02-17 Tue 09:35 | URL | 風使い #-[ 内容変更] | top↑
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