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(日記)自分の中に燃えている「憎しみ」とどうつき合うか~ことばの白魔法

 さて、先ほどの日記で、僕の中には「ここまで自然界の調和を破壊し、多くの生物種を絶滅させてきた人類の営みに対して、あるいはその無自覚だった暴力に対して、心底、憎んでいる部分」がある、ことを発見したと書きました。
http://windshamanwf.blog34.fc2.com/blog-entry-236.html

(ちなみにここで、「ここまで自然界の調和を破壊し、多くの生物種を絶滅させてきた『人類に対して』」っていうことばを使っちゃうと、一気に行き止まりです。ここは慎重に、人類そのものじゃなくて、人類の営みに対して、ということばの使い方をする方が、その先に続けられるわけ。人類を否定せず、ある営みを否定するなら、別の営みを選べばいいだけだから簡単に変えられるからです。こういうのが「ことばの使い方」の話)

 さて、このテーマ、もうちょっと自分で深めたいなあと思いました。

 なぜならこういった見落としていた大きな感情というのは、その周辺に僕にとって豊かな実りとなり得る宝物をしばしば隠しているからです。

 ではさっそく(ちなみにこれ、リアルタイムでワークしていることを書いていきます)。

 僕の中にある、その憎しみのようなもの。その声にもうちょっと耳を傾けてみます。

 体感覚を頼りにアプローチしていくと、これは本体としては憎しみというか、もうちょっと苦痛そのものだな。なにか大切なものが、なんの注意も払われないまま無残に損なわれていく、それを止めることもできずに見ていることの苦痛。

 (う~ん、こういうパターンって僕は結構あるなあ。)

 その大切なものってなんだろう。

 ぱっと浮かぶ映像は、タンポポの花。

 そのタンポポの映像をよく見てみる。なんか泣けてくる。
 僕がどれほど、タンポポの花をいとおしく感じているのか、改めて知る感じ。




 タンポポって僕にとって、なんというか大きな存在なんですよ。たくさんのことを教えてくれた植物。

 前にも書いたけれど日本でトラッカースクールのスタンダードコースが開催されたときに、野草のレクチャーでタンポポをはじめとして何種類かの野草のサラダを頂いたことがあります。

 それが美味しくて、身の回りにこんな豊かな恵みがあるのか、ということに衝撃を受けたし、これほど豊かな恵みに囲まれていることになんの感謝もなく生きてきてしまったことにも衝撃を受けました。

 それだけじゃなくて、大人になってタンポポの綿毛を改めて見たときに、そこにある小宇宙のような美しさにも衝撃を受けました。

 字で書いてしまうと簡単ですが、その衝撃は僕の人生を変えてしまうくらいの衝撃だった。

 多くの大人がそうであるように、僕はタンポポという植物を、全く軽んじていたんです。

 そして、改めて心を込めてつき合ったときに、僕らがどれほどこの場にある幸せを見落としているか、ということの象徴のような役割を果たしてくれる存在になったのでした。

 僕はタンポポという植物との再会を通して、「自分を幸せにしてくれる存在は、心の曇りを払って眺めてみたらいつでもすぐそばにある」ということをはっきりと知ることになったのでした。

 そんな、感謝してもしきれない存在なのです。





 そんな大切な存在、タンポポ。

 そしてタンポポがたまたま僕にとっては特別な機会を提供してくれる植物でしたが、それはタンポポでなくてもいいはずなんです。

 ある人にとっては杉の木だったり、ブナの木だったりするかもしれないし、ある人にとってはタヌキかもしれないし、カラスかもしれないし、カブトムシかもしれないしミミズかもしれない。

 僕が大昔の日本にいたら、ナウマンゾウかもしれないし、明治の日本だったらトキかもしれないし、今アフリカのどこかの先住民だったらそれはサイかもしれないわけです。

 そのナウマンゾウは絶滅。トキも日本在来のは絶滅。サイも絶滅寸前。
 日本のタンポポだってわからないし、高尾山のブナも今やトンネル工事でどうなるかわからない。

 ここで僕の苦痛が生じるようす。お腹が熱く胸が苦しくなってくる。

 今、1日に消えていく生物種は100種っていう単位。
 ほ乳類に限ったとしてもゴリラもアフリカゾウもパンダもジュゴンもオランウータンもホッキョクグマも絶滅寸前。ツキノワグマだって絶滅が危惧されている。

 それは乱獲とかもあるけれど、人間がテリトリーを広げすぎて、彼らの住む場所、環境を損なってしまったからという理由が一番大きいといわれています。

 それと引き替えにしてまでほしい幸せがあるのかといわれると、僕にはないんですよ。

 っていうか、そんな風に自然を「開発」して、経済を発展させることでなんか、幸せは得られない。

 (この辺で憎しみや怒りが入ってくるなあ。)
  
 それはもう、現代に生きる人だったらちょっと考えたらわかる事じゃないのか。
 みんな、自分の幸せをもっと真剣に考えなよ。
 それは一輪のタンポポからだって、広い青空に浮かぶ雲からだって得られるじゃないか。
 もっと自分を幸せにすることに真剣になろうよ。

 なんでここにある幸せの元をわざわざつぶしてしまうんだ?
 みんな目を覚ませーっ!!


 っていうふうな気持ちが僕の中にはあるというわけです。

 これをただ爆発するままに表現しても、それは全然建設的ではないと僕は思います。
 感情を大切にするっていうのは、感情を感じてそれがあることをしっかりと承認する、ということであって、それをどう表現するかはまた別次元の話。そこを混同すると対人関係をはじめいろんなところに不本意な障害が発生しちゃいます。



 
 けっこう整理されてきたぞ。

 そんなわけで、この苦痛や恨みの周辺には

・なんでそんなことをするんだ!(怒)

・みんな目を覚ませーっ!
 
・ここに幸せがあるんじゃない?ちょっとみてみようよ?

などなどといった気持ちがあるわけです。

これらを一通り認めた上で、その中のどこにエネルギーを注ぐのか、ということが僕の選択になってくる。

 この気持ちをちゃんと認めておくと、そこにある怒りはおそらく僕にエネルギーを与えてくれます。怒りというのは、変化を指向する感情ですよね。(それに対して悲しみは変わらないものを受け入れる感情。)

 だけど、そのエネルギーをどこに注ぐかというと、あとの2つに注いだらいいんだと思う。

 このバランスは意識していないと、今の僕だと容易に崩れちゃうので意識的に保つためにアファメーションなどを作るといいかも。

(昨日はここまでで寝ちゃいました)



さて、今朝起きたら茂木健一郎さんがtwitterで、英語のPassionは情熱であり、受難であることから

「情熱は、マイナスをプラスに変える、脳の情動系の「白魔術」である。苦労が多いほど、困難が大きいほど、それだけ情熱も大きく燃えさかる。そう考えれば、少々の抵抗、摩擦など何ほどのものだろうか。」

って書いていました。

そう。今やろうとしているのはことばの白魔法。

 僕はこれまで、自分の無知や怠慢のために、ほんとうに大切なものをみすみす見殺しにしてきてしまいました。無知や怠慢を一般的な倫理道徳から否定するんじゃありません。僕が大切なものを見殺しにするというのは、僕のこころを見殺しにするということなのです。

 そんな風に、僕のことを粗末に扱うのを僕は辞めようと思います。

 そのために今の僕にできることは、目を覚ましたいと願っている人の手助け、しあわせの見つけ方をもっとうまくなりたいと思う人の手助け。

 う~ん、書いてみてまだちょっとしっくり度が足りない。
 お腹のあたりにもやもやが残る。

 ここまでで断続的に約2、3時間のセルフワーク。
 もうちょっとだ。

 でもいったん休憩して別の仕事します。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~
風使いの小屋 今後の予定

10月16日17日 蓼科 ネイティブアメリカン合宿

9月25日(土)昼: 「ことばを魔法の呪文として使うには?」
     ことばの魔法教室 ワールドカフェ方式
http://tamaho.seesaa.net/article/158326128.html

9月25日(土)夜: 初心者のためのクラシックの楽しみ方講座2
「指揮者によって何が違うの?」
http://tamaho.seesaa.net/article/158326762.html

9月18,19日 北海道 ネイティブアメリカンの自然と共生する智恵体験講座
 「目覚めよ、虹の戦士たち   A Circle of Rainbow Warriors」
http://windshamanwf.blog34.fc2.com/blog-entry-231.html

星々のささやきを聴き取るように(コーマワークセミナー)
・9月23日(木/祝) 札幌 
・8月29日(日) 東京  
http://windshamanwf.blog34.fc2.com/blog-entry-225.html
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この記事のコメント

 ふたこさんの怒りというのは、もどかしさというニュアンスが感じられますね。もどかしさというのは、できて当たり前なのにできないという感じ。

 どうして「できて当たり前」なのかというと、自分の一部だから。自分と距離のある物事がうまくいかなくても、もどかしさにはならないでしょうね。

 もし、自分と自然、或いは地球が一体化していたら、そのどこでもが自分の一部になっているはずです。例えば、動いたはずの手足が突然上手に動かせなくなったら、きっともどかしいでしょう。
2010-08-18 Wed 15:03 | URL | 吉家重夫 #-[ 内容変更] | top↑
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-08-18 Wed 17:52 | | #[ 内容変更] | top↑
青梅の松本です。
ふたこさんと全く同じ想いが、私の一番の想いです。

温暖化が全面に出て、かといって浮っつらの取り組みで…
生物多様性は国レベルで協力して、個人でも根底からの意識改革が必要だと思います。

自分としてどうしていいか分からないはがゆさで、
確かに胸が詰まり胃がキューとなります。

究極の課題のようです。

2010-08-18 Wed 22:32 | URL | 松本 #B1SxDUpc[ 内容変更] | top↑
なるほど。
面白い視点だと思いました。

この場合、僕は人類全体と同一視しているんだけれども、その人類全体としての僕の体の一部が思うように動かない感じ、とも言えるかもしれません。

これが動かないのが正解だ、と仮定してみると何か見えてくるかもしれないな。
2010-08-19 Thu 10:49 | URL | 風使いふたこ #-[ 内容変更] | top↑
こんにちは~。

コメントを読ませて頂いて、
「この課題が克服されるためには、何が起こらなくてはいけないか」ということは、ある程度わかってきたけれど、僕ができることは限られている、というのがもどかしい。

そんな風にも言えるなあとヒントを頂きました。
ありがとうございます。
2010-08-19 Thu 10:52 | URL | 風使いふたこ #-[ 内容変更] | top↑
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